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「対話の会」が歩んできた軌跡を残していきます。 事務局は事務的に残していきますが、 ここにみなさんの足跡もつけていただいて、「対話」の軌跡を豊かにできたらすてきですね。
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【H23年4月】 4月23日(土)
時 間 14:00~17:30
場 所 東京学芸大学附属 竹早小学校
内 容 14:00~14:30 総会
   14:30~17:30 第1回例会

 わたしの学級びらき、授業びらきを語り合おう

(学級担任、専科教師それぞれの立場から)


皆様のご参加をおまちしております。
(N)

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【H23年4月】 4月23日(土)
時 間 14:00~17:30
場 所 東京学芸大学附属 竹早小学校
内 容 14:00~14:30 総会
   14:30~17:30 第1回例会

 わたしの学級びらき、授業びらきを語り合おう

(学級担任、専科教師それぞれの立場から)


皆様のご参加をおまちしております。
(N)

私は通常の金曜日、6時間目に地震が起きました。
私は5年生と花の観察とスケッチをしていました。
誰かの「地震だ」の声、初めは小さかった揺れが次第に大きくなっていき、
私は試験管の棚扉を押さえていました。
揺れは長く、強くなったり弱くなったり。
理科室はガラス器具だらけですので、それらが落ちたり窓が割れたりすることがないことを祈りながら、
子どもたちがしっかり隠れられているか、棚を押さえ子どもたちを見ながら声をかけていました。
揺れはかなりの時間続いており、脚がすくみそうになりながらも自分を冷静に保つようつとめていました。
子どもたちには動揺は隠せないもののパニックするようなことはなく、私や駆けつけた担任の指示をよくきいて行動していました。

子どもたちが全員理科室から出たのを確認してから、3階に残っている子がいないか探索しました。
メディアルームの本がすべて落ち、揺れの大きさを残していました。
今月、小中合同の避難訓練をしていたおかげか、避難は迅速に進みました。

校庭に避難し、親が来るのを待ちました。
時折訪れる大きな余震にビクビクしながら、子どもたちは必要以上にこわがることもなく避難を続けました。
それでも連絡が始まると、ぴたっと注目する。
このへんの、メリハリの付け方というか、場のわきまえ方というか、その辺が子どもたちのすごさのひとつだなぁ、と再認識。

区内は交通機関がマヒしており、保護者のみなさんもなかなか思うように移動できなかったようです。
夕方、日が傾き寒くなったことと夕方に雨の心配があったため、小学校は校舎内に全員移動しました。
エマージェンシーコールもすぐには送信されませんでした。肝心なときにつながらず、困りました。
固定電話、なかでも公衆電話は比較的つながりやすいんですね。
夜になっても迎えにこれない家庭もだいぶあり、20名ほどが9時半にランチルームで就寝。
全員が無事に家族に引き渡せたのは、明け方9時過ぎでした。
思うように連絡がつかないことに、保護者も子どもも不安でした。
最後の保護者さんは阪神大震災も経験されており、初動は慎重に、子どもは学校にいるのがよいと判断して、夜が明けてからお迎えに出られたそうです。
教師は子どもたちのフォロー、親への引き渡し、正門の立ち番のシフトをつくって交代でしました。
先生方、さすがです。それぞれがあれこれ考えて対応し、フォローしていました。
子どもたちのケアに尽力されるかた、学校にあるもので食事を準備するかた、情報を収集するかた・・・
今回のことでは、学校が本当にたくさんのかたに守られていることも実感しました。
率先して毛布や非常食を運び、小学校の子どもたちを優先してくれた隣の中学校の先生方、
子どもたちは降園しているにもかかわらず最後まで心配し、手伝ってくださった隣の幼稚園の先生方、
家庭も大変な状況の中、駆けつけてくださったPTAの役員さん、
最後まで警備としていてくださった警備員さん、
・・・

正門対応で立っていると、学校前の通りは明け方まで渋滞が続いていました。
歩道も深夜まで多くの人が往来していました。


あれから10日がたったのですが、いまだに状況がうまく把握できていない、というか感情がついていけていません。
何か、感覚がマヒし始めています。
「死者・行方不明者が2万人を越えました」
・・・どう受け止めればいいのでしょうか

ともかく、自分にできることを、精一杯やるしかない
のですが、やりきれない思いが先行してしまいます・・・

(事務局 S)
茨城県のほうれん草と福島県の生乳から放射性物質ヨウ素131が検出されたとの報道がありました。
セシウムやヨウ素は、原子力発電所で普通にでる放射性物質です。
燃料のウランが核分裂するとでてきます。
これが漏れてくると、大きな被害になります。しかしこれも正しく怖がりたいところです。
これも風評被害が大変懸念されるところですので、少々解説してみます。

「ヨウ素」は、うがい薬や海草、デンプンがあるか調べるヨウ素液で有名な物質です。
報道されているのは、自然にはない、放射線を出すヨウ素、「ヨウ素131」です。
同じ「もの」でも、原子核の中性子の数によって放射線を出すものがあります。
これを「同位体」といいます。
放射線を出すので、大量にあれば被爆します。
口から入ってしまうと、ヨウ素は体内に取り込まれますから長い時間ありつづけることになり、影響が深刻化します。
ですから、食べ物に付着していた、というのはより深刻なことなのです。

体内に取り込まれたヨウ素は、甲状腺に蓄積します。
そこでヨウ素131が来る前に安全なヨウ素を食べていっぱいにしておこう、というのが安定ヨウ素剤です。
チェルノブイリの事故では、ロシアのみなさんは海草などはあまり食べないためによりヨウ素131を蓄積してしまったようです。
しかし日本の食生活ではヨウ素はかなり摂取されているので、それほど心配ないだろうと思っています。(断定できずスミマセン)


今回の報道で発表されたのは、ほうれん草で1キログラムあたり6100~1万5020ベクレルが検出されたということです。
1ベクレルのものを一年間食べ続けると、約0.25マイクロシーベルトになるようですから、
1万ベクレルのほうれん草を一年間食べ続けると、2500マイクロシーベルト=2.5ミリシーベルトの影響がでるようです。
これが体内被曝であることを考慮しての数字なのか、もう少し調べてみなければですが、この値は普通に日本で生活していて一年間に浴びる放射線量と同等です。
年間10ミリシーベルトを浴びる地域も地球上にはあるので、それほど心配ないと受け取れます。
(添付の画像は、原子力・エネルギー教育支援情報サイトあとみんより)
「規制値の○倍を検出した」に惑わされない方がよいかと思います。
規制値は非常に小さな値で設定されており、影響のでる範囲とは別です。

また検出されたのはヨウ素131です。
これは、半減期が8日ですから、1ヶ月後にはほとんどなくなってしまいます。
放射性物質は、放射線を放出すると減っていきます。
半分になるまでにかかる時間を半減期と呼びます。
セシウムは半減期は30年と長いため、危険性も永いのですが、
ヨウ素は8日です。
体内に取り込んでしまってからだと問題になる期間ですが、
そうでないならば、1ヶ月もすればほとんどなくなります。

原子力発電所からの漏洩がこれで止まったとすれば、あと1ヶ月すれば、施設外部の影響はなくなるということです。

どうもうまくまとまらず申し訳ないです。
ご不明な点やわかりにくい点など、連絡いただければと思います。
がんばって調べて考えてみます。


<参考>
厚労省によると、福島県川俣町の1農家で16~18日に採取された原乳から、基準値の3~5倍にあたる1キログラムあたり932~1510ベクレルを検出。ホウレンソウは、茨城県高萩市、日立市、常陸太田市、大子町、東海村、ひたちなか市の各自治体の1検体ずつ計6検体から、基準値の3~7倍にあたる1キログラムあたり6100~1万5020ベクレルが検出された。震災後、福島県内の農家はほとんど出荷を実施しておらず、当該農家で生産された原乳は市場には出回っていない。【毎日.jp 2011年3月19日 16時24分】


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