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「対話の会」が歩んできた軌跡を残していきます。 事務局は事務的に残していきますが、 ここにみなさんの足跡もつけていただいて、「対話」の軌跡を豊かにできたらすてきですね。
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私は通常の金曜日、6時間目に地震が起きました。
私は5年生と花の観察とスケッチをしていました。
誰かの「地震だ」の声、初めは小さかった揺れが次第に大きくなっていき、
私は試験管の棚扉を押さえていました。
揺れは長く、強くなったり弱くなったり。
理科室はガラス器具だらけですので、それらが落ちたり窓が割れたりすることがないことを祈りながら、
子どもたちがしっかり隠れられているか、棚を押さえ子どもたちを見ながら声をかけていました。
揺れはかなりの時間続いており、脚がすくみそうになりながらも自分を冷静に保つようつとめていました。
子どもたちには動揺は隠せないもののパニックするようなことはなく、私や駆けつけた担任の指示をよくきいて行動していました。

子どもたちが全員理科室から出たのを確認してから、3階に残っている子がいないか探索しました。
メディアルームの本がすべて落ち、揺れの大きさを残していました。
今月、小中合同の避難訓練をしていたおかげか、避難は迅速に進みました。

校庭に避難し、親が来るのを待ちました。
時折訪れる大きな余震にビクビクしながら、子どもたちは必要以上にこわがることもなく避難を続けました。
それでも連絡が始まると、ぴたっと注目する。
このへんの、メリハリの付け方というか、場のわきまえ方というか、その辺が子どもたちのすごさのひとつだなぁ、と再認識。

区内は交通機関がマヒしており、保護者のみなさんもなかなか思うように移動できなかったようです。
夕方、日が傾き寒くなったことと夕方に雨の心配があったため、小学校は校舎内に全員移動しました。
エマージェンシーコールもすぐには送信されませんでした。肝心なときにつながらず、困りました。
固定電話、なかでも公衆電話は比較的つながりやすいんですね。
夜になっても迎えにこれない家庭もだいぶあり、20名ほどが9時半にランチルームで就寝。
全員が無事に家族に引き渡せたのは、明け方9時過ぎでした。
思うように連絡がつかないことに、保護者も子どもも不安でした。
最後の保護者さんは阪神大震災も経験されており、初動は慎重に、子どもは学校にいるのがよいと判断して、夜が明けてからお迎えに出られたそうです。
教師は子どもたちのフォロー、親への引き渡し、正門の立ち番のシフトをつくって交代でしました。
先生方、さすがです。それぞれがあれこれ考えて対応し、フォローしていました。
子どもたちのケアに尽力されるかた、学校にあるもので食事を準備するかた、情報を収集するかた・・・
今回のことでは、学校が本当にたくさんのかたに守られていることも実感しました。
率先して毛布や非常食を運び、小学校の子どもたちを優先してくれた隣の中学校の先生方、
子どもたちは降園しているにもかかわらず最後まで心配し、手伝ってくださった隣の幼稚園の先生方、
家庭も大変な状況の中、駆けつけてくださったPTAの役員さん、
最後まで警備としていてくださった警備員さん、
・・・

正門対応で立っていると、学校前の通りは明け方まで渋滞が続いていました。
歩道も深夜まで多くの人が往来していました。


あれから10日がたったのですが、いまだに状況がうまく把握できていない、というか感情がついていけていません。
何か、感覚がマヒし始めています。
「死者・行方不明者が2万人を越えました」
・・・どう受け止めればいいのでしょうか

ともかく、自分にできることを、精一杯やるしかない
のですが、やりきれない思いが先行してしまいます・・・

(事務局 S)
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